Aristolismの最初のAはAltruism「利他の精神」を表しています。
色々と書きたいことはあるのですが、今回のコラムでは、
- 利他の精神とは何か
- なぜ、利他の精神が大事なのか
- 利他の精神は損をするということではないこと
の三つに絞って書くことにします。
利他の精神とは何か
利他の精神、あまり馴染の無い言葉だと思います。
私が尊敬する経営者の稲盛和夫さんの言葉を借りると、次のような説明が記載されています。
私たちの心には「自分だけがよければいい」と考える利己の心と、「自分を犠牲にしても他の人を助けよう」とする利他の心があります。利己の心で判断すると、自分のことしか考えていないので、誰の協力も得られません。自分中心ですから視野も狭くなり、間違った判断をしてしまいます。
一方、利他の心で判断すると「人によかれ」という心ですから、まわりの人みんなが協力してくれます。また視野も広くなるので、正しい判断ができるのです。
より良い仕事をしていくためには、自分だけのことを考えて判断するのではなく、まわりの人のことを考え、思いやりに満ちた「利他の心」に立って判断をすべきです。
https://www.kyocera.co.jp/inamori/about/thinker/philosophy/words25.html
簡単に言えば「自分のことよりも他人のことを大切にする」心持ちのことです。
私は、どんなに性格の良い人でも、本当の意味で、この「利他の心」を実践できている方と言うのは少ないと思います。
なぜなら、相手側のことを想って自分が譲歩して動いたとしても、相手はその思いやりにつけあがり、感謝されず、自分は損した気持ちになることが往々にして多いからです。したがって、基本的に、お互いがお互いにやりたいように振る舞うべきだ、という意見が多いでしょう。
ここで私が伝えたいことは、当社が使う「利他の精神」とは、「思いやり」「譲歩」といった言葉とは、意味合いが少し異なるということです。まず、前提として、これは1対1の話であることを前提にしているのではなく、複数人の組織を前提にした言葉である、ということです。
自分が所属する会社のように、大きな集団の中での1ピースである自分の行動を考えた時、どのような心持ちでいるのが良いでしょうか?という問いかけに対しての「利他の精神」である、ということです。
会社という組織は、ある特定の目的を達成するために集まった集団=Associationであり、自らボランティアで集まったCommunityとは対をなすものです。アリストルという会社では、現在のパーパス「意識を変え、行動を変え、未来を変える」の下、世の中のためになる事業の創出を通して従業員も幸せになって欲しい、という理念を掲げています。私の言う「利他の精神」とは、この文脈のなかで発揮されるべきもの、ということです。
また、AristolismのLeadershipやInitiativeと何が違うのか、と思われる方がいるかもしれません。LeadershipやInitiativeは行動レベルのことを指しているのに対し、Altruismとは精神レベル、意識のことを指しているということです。どんなに行動力があっても、一見みんなのために動いていても、そこに私利私欲が挟んでいるものが見え隠れすると、人の心は動かないものです。行動力があることはとても大事なことですが、それと同じくらい、その行動力はどんな考えに基づいているかが大事であるということです。
なぜ、利他の精神が大事なのか
なぜ、利他の精神をこれほどまでに私は大事であると唱えるのでしょうか。
決して、稲盛さんが大事であるというから、というお勉強したことではありません。
利他の精神の重要性を、私自身が自ら体感したから、これを伝えていきたいと考えているからです。
正直に言います。この会社を創業した時、私は一人でやっていく自信がありませんでした。起業も初めてであり、会社がどんなものか全く知らなかったわけです。だからこそ共同創業の道を選びました。実際、共同創業というのは心強かったわけです。しかし、逆に言えば、逃げ道を作っていた、というのも事実でしょう。共同創業者の力に頼る、という甘えの気持ちもありました。もっと言うと、「起業という経験さえできれば良い」という、今思い返せば、実に利己的な考えも持ち合わせていました。少なくとも、全く無かった、というのは嘘になります。
つまり、経営者として創業当初の私は未熟でした。
この考えが誤りだと気づいたのは、2020年の経営危機を迎えた時でした。会社がピンチに陥った時。あと1か月で倒産してしまう、そんな時。周りの人は誰も助けてくれません。周りの方は、次のように自分に言いました。
なんでそんな負け犬みたいなことしてるの?
自分の人生を大切にしたら?
会社を畳むという選択肢は、当然考えました。
私自身、家族もいて、守る者もいる。自分のキャリアを考えた時に、こんなことしている場合なのか。そもそも周りもみんな自分勝手。自分が動いたところで、自分が損するだけではないか。
上記の通り、「自分が自分が…」と、主語はとにかく自分でした。
でも、こう考えること自体は、とても自然なことであり、否定するものではありません。一人の人間として、当然だと思います。
自分がどうするべきか悩んでいる中、私は、一回だけ禁じ手を犯しました。それは、お客様に直接連絡を取ることでした。そのお客様は、祖業のBeatfitをSNSで最初に広めてくれた方でした。その方に、「今の我々のサービスはどう思いますか?」と聞きました。その方は、次のように応えてくれました。
「今も昔も変わらない気持ちで御社のサービスを使っています。コロナで大変な状況だと思いますが、負けずに頑張ってください。応援してます」
このお言葉を聞いた時、私は次のように考えました。
今、目の前に信じてくれているお客様がいる。そのお客様の期待に応えなくて良いのか。今諦めたら、自分の人生、後悔するのではないだろうか。まだやり切っていないことがたいくさんある。自分のキャリアなんてどうでもよいでは無いか。今年の年収なんてなくたって良いでは無いか。そんな、自分の損得や人生なんて無視して、一旦、お客様の期待に応えることだけに集中してみようではないか。
私は、この瞬間、「利己の精神」を捨て「利他の精神」を大事にすることにしました。以来、土日や年末年始もほぼ休まず(少しでも仕事はするようにし)、今に至ります。
結果、何が起きたか。
いままで見捨てられていたと思っていた周囲の方が、応援してくれるようになりました。少しでも、と仕事を回してくれたり、アドバイスをくれたり。単に励ましてくれたり。プライドもキャリアも何もかも捨て、顧客、市場と対話をし、向き合うことに共感をしていただけました。
そして、会社は奇跡的な回復を遂げ、今に至ります。
結果的に、従業員や家族を守ることができ、自分の報酬額も増やすことができました。
当社は、このような軌跡を辿ってきたため、利他の精神を今後も大事にし、次世代に継承していきたいと考えます。
利他の精神は損をするということではないこと
利他の精神について説くと、「自分が損ばかりしませんか?」と疑問に思うことがあります。
一面として、一時期として見ると、自己犠牲をするわけですから、そのように感じるのも無理がありません。決して相手が感謝を感じて何か良いことに返ってくるとは限りません。
私が伝えたいことは、この利他の精神は、決して損をすることではない、ということを伝えたいです。
例えば、顧客に対して値引きをして商品を売ったとしましょう。そして、会社に対して損失を出した。顧客は大喜びした。これは。利他の精神と言えるのでしょうか?
私は、これは、利他の精神とは言えないと考えます。なぜなら、顧客の目線からは便益が出たとしても、他の従業員の目線からは損失を出し、被害を出し、決して彼らをハッピーにしているからではないからです。
実際の事業の現場では、値段を下げなくても、お客様が喜んでくださることは何か?こういうことを考えることが重要です。会社のことも守りながら、お客様のためにできることは何か、そのために自分がやらねければいけないことは何かを考える。これが、私の言う「利他の精神」の本質です。
以上、利他の精神について述べました。私は、この考えの境地に至ってから、人生の充実度が増したように思います。是非、これを読んでいる皆さんにも、利他の精神を大事にすることで、一日の出来事により幸福を感じて頂けるようになっていただけると嬉しいです。