自分のアイデンティティを言語化できると幸せになる話

.私はテレビは殆ど見ないのですが、一週間の内、予約録画をして見る程好きな番組が一つだけあります。それは、火曜日夜7時から放送している「オモウマイ店」です。

周りの皆さんに、毎回泣いちゃうんだよね~、という話をするのですが、イマイチ理解してもらえません(泣)

この番組の凄いところは、現場スタッフが、情熱大陸のように、全国から「おもてなし過ぎてうまい店」を探してきて、数か月密着取材して一つのストーリーに組み立てます。だけではなく、一回の放送後もしっかりと追いかけ、数回に分けてお店の変遷を伝えるところにあります。よくある、芸能人が訪れて「おいしー!」みたいな番組ではなく、あくまで店主がメイン。店主の考えや思想、哲学にスポットが充てられています。

飲食店も、立派な経営です。どこから仕入れて、何を付加価値にして、いくらで出すのか。ビジネスの基本原則です。安くてデカ盛りが楽しくて見ているわけではなく、そのお店の裏にある経営者の考えに、毎回感銘を受けることが多いのです。ここまで、過去の内容を覚えている番組は数十年生きていて初めてです。

ちょっと前なのですが、8/9は、名古屋のシェ・シバタというかの有名な柴田武さんのスペシャル回でした。色々なところでニュースになっているようですが、私は、この中で、過去の人生で同じように考えたことがあり、今の自分を見つめ直すきっかけになり、とても有意義な時間でした。

一つ目は「親孝行とは何か」という点です。柴田シェアは、番組の中で、次のように発言しています。「親は、自分の時間を犠牲にして育ててくれた。その親に対しての最高の親孝行は、「産んでよかった。育ててよかった」と思ってもらえることだ」というような趣旨の発言をしていました。決して、ハワイ旅行に連れていくことでも、孫の顔を見せることでもありません。これは、私も同じ考えに至ったことがあります。私が13歳の時でした。母親が重病で倒れて入院してしまうことがありました。当時の私は、生意気でわがままな中学生でした。しかしながら、埼玉の片田舎から、東京の私立中学に通わせてくれた親。経済的にも、時間的にも、精神的にも、相当大変だったんだろう、と今、改めて思います。私は、母親が倒れてしまった時、母親が亡くなることも覚悟しました(それから10年後、母は私が26歳の時に亡くなりました)。この時、自分はどうすれば母親が喜ぶのだろう、と考えました。その時私は、遠くの病院にいて会えなくても、ちゃんと立派に勉強して、安心させることだろう、と考え、真面目に勉強をしました。確かクラスで2番か3番の成績(1番は取れませんでしたw)を取り、スポーツも部活も頑張りました。逆に言うと、それしかできませんでした。私なりの精一杯の努力でした。でも、母親は喜んでいたと思います。

二つ目は、本日の本題である「自分とは何者なのか」という点です。柴田シェフは、誰にも創造のつかない手法で、新しい洋菓子を創作し続けます。それはなぜか?それは、柴田シェフが双子である、という生い立ちにルーツがある、と言います。ずっと二人で一つと言われ続けてきた。だから、自分は違う!と自己主張をするようになった。これが基本的な考えにあり、その表現がケーキに現れる、と言います。私は、この「自分とは何者なのか」=アイデンティティを言語化し、ある意味信じる行為をする人は、精神的に強く、そして幸福度が高くなりやすいと考えています。自分とは何者なのか、ということを客観的に見れる、その時点で強みや弱み、性格を把握できている、あるいはそのように思い込むことで、社会や組織の中で、存在意義を発揮しやすくなると思うからです。そして、全く同じことを、私は、母親の葬儀の時に理解しました。私の母親は、私が26歳の時に旅立ちました。正直、辛かったです。激務な仕事もこなしながら、喪主として葬儀の一切を仕切りました。とはいえ、喪に服す間、私は自分自身を見つめ返す時間を持ちました。母親に対して、自分はちゃんとした人間であったのだろうか?母親や私のような息子を持てて、幸せだったのだろうか?これから、私はどう母親のことを想って生きていけばいいのだろうか?

その時、気づきました。私のルーツは、私の名前「学」そのものにあった、ということを。つまり、母親は「良く学び」という気持ちで私に名前をつけてくれた。思えば、私は、一生懸命、色々なことを学ぶことで、母親に対して認められようと自分自身を表現していたのです。だから、母親の葬儀の時にも、「これからもずっと学ぶ姿勢を忘れない。なぜならそのように生命を母から授かったのだから」と誓いました。恐らく、社員の皆さんは、私の読書量を知っているかと思います。月におおよそ10~20冊は読みこなしますし、何か業界のことを研究する時も、ひたすら調べます。市場動向や競合動向も調べ尽くします。お客様からは「宮崎さんはリサーチ力が誰よりもずば抜けて高い」とおっしゃっていただけます。たぶん、これは、「学ぶ」という私のアイデンティティを表現しているのだと、自分自身そう信じています。そして、それでよい、これが自分なのだ、と考えています。そして、この考えが、今のアリストルにはコーポレートアイデンティティとして昇華しつつあります。

この考えに至ってからは、周りのことは気にならなくなりました。MBA留学?IPOで数十億円?モデルと合コン?自分にとってはどうでも良い情報です。自分は自分、他人は他人です。

是非、皆さんも、「自分とは何者なのか」について考えてみてください。