2024年最初の仕事は緊急時対策規程の作成に

2024年1月1日。元旦に年頭所感を発表してすぐに、石川県能登地方を中心として最大震度7を記録する大規模な地震が起きた。年頭所感で「次の6年間は何が起きるかわからない」と言った矢先だった。

津波も発生し、この記事を執筆している2024年1月3日20時30分時点で、既に死者は70名を超えており、今もなお避難している方は数万に上る。まずは、被害に遭われた方に心よりお見舞い申し上げたい。

当該ニュースを知ったのは、初詣帰りの電車で、横に座っていた少年が騒ぎ、何事かと思い携帯を取り出して知った。年始の休暇中であったが、石川県出身の社員が一名いたため、即時連絡を取り、安否を確認した。幸いなことに当該社員とその家族は危険区域外におり、無事を確認することができた。

思えば、2011年3月11日の東日本大震災では、東京にいた私も未曽有の地震を経験し、町中がパニックになった。テレビ越しに大津波が町を飲み込むシーンはいまだに忘れることができない。この時、私は、仙台に住む友人がおり、とっさに「大丈夫?」と連絡をした。しかし、彼から返信は無かった。返信が来たのは、それから約一週間後だった。

「ごめん、返信が遅れて。自分は何とか生き延びたけど、父と妹が…」

この時、私は、なんとも失礼なことをした気持ちになった。「大丈夫?」と聞くのは、「大丈夫」と返ってくることを前提にした、なんとも独りよがりな発言だったことに気づいた。本当に大変な時は、大丈夫、なんて一言も返せない状況なのだと反省した。

それ以来、私は、周囲の方へ過度な干渉をすることを避けるようになった。会社を創業してからも、従業員とはできるだけ距離を置き、プライベートなやり取りは避けるようにしてきた。従業員の安否に関しても余り干渉することは良くないと考えていた。

しかし、本年の目標に、より永続的に成長する会社を目指すと宣言し、違う見方を持った自分に気づいた。

無論、従業員のプライベートに過度に踏み込むような過干渉はいけないが、会社の代表として、顧客との約束を守り、社員の家族の皆さんの生活を預かる立場にあることを忘れてはいけない。

もっというと、私自身が何か不慮の事故で亡くなる可能性だってある。そんなときも、会社は回さなければいけない。そのような仕組みを作らないといけないとニュースを見て悟ったのだ。

そこで、新年最初の仕事は、期せずして緊急時対策規程の作成になった。経営管理部長の宮本さんも、ニュースを見て同じように思っていてくれたようで、休みにも関わらず、素案を自ら作成してくれ、マネージャー陣に共有しれくれた。年明け後に本格着手する予定だ。

何を持って緊急時かは判断が難しい。例えば、震度3~4のレベルでイチイチ安否確認をしていたら社員も鬱陶しいだろうし形骸化してしまうだろう。現在は、「代表あるいはそれに代わる人物が緊急時と判断した時」とする運用から始めるつもりだが、このような事態は、きっと、一年に一回くらいはあっても不思議ではないだろう。

いつ何時、緊急事態がおきても仕組みで対応する会社を創ろう。そう思った元旦だった。