組織が徐々に大きくなるにつれて、必ず向き合わなければいけない問題が人間関係です。
期待していた能力を発揮できないと、当該本人も、その上長も、お互いにフラストレーションがたまってしまいます。また、仕事のミスが発生した時に、「怒り」「叱責」という形で現れ、ぶつかり合う問題が生じます。
今日は、私なりに、この「怒り」について考えていることをお伝えします。
まず、これまでの人生において、世の中の古典、テキストを何冊も読んでいますが、実にいろいろなことが書かれています。
「怒りはエネルギーの無駄遣いだ。怒らないほうが良いに決まっている」
「怒りの時間は損だ。楽しいことにもっと時間を使おう」
と、一般的には「怒りは悪」であり、出来るだけ怒らないほうが良いですよ!と伝える本が多いです。
一方で、
「怒りを我慢して自分を抑圧してはいけない。精神衛生上、怒りを我慢するのは良くない」
「怒らないと相手に気づきを与えることができない」
など、「時には怒りは必要」と伝える本もあります。
では、私はどう考えるか?
私の考えとしては、「怒りは人間にとって、とても大切な感情です。怒りを感じた時、怒るべき時には怒るべきであると考えます。しかしながら、自分が何に対して怒るのかを認識する必要がある。そして、怒りで人を変えることには限界があることを知る必要がある。」です。
まず一点目。私は、自分の感情に素直になることを基本的に大切にしています。これは、怒り、だけではなく、喜怒哀楽、全般に対してそうです。私は、感情という存在は、人間が備え持つ生理的な機能であり、感情を表現するのは、自然な行為であると考えます。なんでもかんでも感情的にふるまうのが良い、と言っているわけではありません。そうではなく、感情を表現すること自体は人間として普通のことであり、我慢して抑圧する(抑圧し続ける)のは辛い、ということです。
私と一緒に仕事をしたことがある人は多分感じているでしょうが、成功したら本気で喜ぶし、失敗したら本気で悲しむ。何か間違ったことがあったら本気で怒ります。よく、「叱る」と「怒る」を混同してはいけない、とありますが、基本的に同意するものの、実践するのは難しい行為だと思っています。感情的になっている時というのは、あまり理性が働きません。その場はある意味抑えることができない状況なんです。なので、例えば、●●さんが基本的なミスを繰り返したとして、会社にとって損失を出したとします。私は、その瞬間、めちゃめちゃ怒ります。損失を出したなら怒るべきだと思うし、会社を率いる人にとって、損失を出したのに平然とする態度を取るのは、むしろ間違っている行為ではないか、とさえ思います。
ここで二点目のポイントが出てくるのですが、その瞬間、怒ること自体は自然なことであり、防がず発散してしまえばよい、と伝えました。問題は、怒った後です。大切なことは、「自分は何に対して怒ったのか?」ということに関して言語化する努力を怒った分怠らないことです。「怒る」ということは、何か、自分が大切にしている価値観に反した、ということです。それは何だったのか。例えば、●●さんがミスをして、怒ったとします。その場は怒って良い、というのが自分の考えです。でも、なぜ怒ったのか?をかみ砕いたときに、実は自分の指示が曖昧だった、とか、反省するべき点が出てくる時は有ります。その時は、私は、本人に対して「さっきは感情的になってしまって申し訳なかった。■■については私も至らなかった」と謝ります。私と一緒に仕事をしている人は、この経験(私が後で謝ってきたこと)も多いのではないでしょうか。だいたい、ランニングなどの有酸素運動をしているときや、お風呂に浸かっている時に、私は自分の行為を振り返る機会を持つようにしています。その時、反省することがあれば、それを怒りの矛先の対象に伝えるようにします。
「だったら怒らないようにしたら良いんではないですか?
はい、私もそう思います。できるだけ、感情的にならないようにコントロールするべきでしょう。でも、人間、やっぱり、ここまでは許せるけど、ここまでは許せない、という一線は、人それぞれあります。人によってはそのハードルが低い人もいるし、高い人もいます。そんな中で、「とにかく怒るのはいけないことだ」という価値観は、私は適切ではないと思います。例えば、怒りっぽい人は、怒りっぽい人であることを自覚した上で、何に対して怒ったのか、そこはしっかりと言語化しないといけません。
そして三点目。「怒りはどこまで有効なのか?」ということです。「怒ったところで人は変わらない。だから怒りは無駄だ」というのが怒り不要論者の意見です。私も、そう思う側面は多分にあります。怒りというのは、相手のため、というより、自分のため(鎮めるための反応)にある、というのも良く理解できます。しかしながら、私の整理では、「怒り」というのは、相手の行動に影響を与えるという観点で、下記については有効だと考えています。
①現状ではいけないという危機意識の醸成
②当該事象が重要であるとの本気度の浸透
「怒る」最大のポイントは、「あ、しまった!」「ヤバい!間違えた」と反省を促すことができることです。「このままではいけない。変わらないと!」と相手に思ってもらえる。これが①の部分であり、「怒り」最大の効果だと私は思います。
もう一つは、「怒り」というのは、「本気」を伝えるのに有効だということです。自分はこの事業に命をかけて取り組んでいるんだ!自分はこの作業に情熱を捧げているんだ!など、自分が大切にしているものなんだ!本気なんだ!ということを相手に伝えるのに有効です。
しかしながら、「なぜ、どこがいけなかったのか?」ということについては、全く伝わりません。ここが「怒り」最大の弱みです。たいていの場合、相手が怒ると、その時点で怒られている人もコミュニケーションが取れなくなります。「自分が間違えた」ことは認識しますが「どうすればよかったのか。今後どうすればよいのか」ということは認識できません(できなくなる人が多いです)。
従って、私は、その場は本気で怒りますが、そのあと、一旦頭を冷やして、「じゃあどうすればよいのか?」を論理的に考えて冷静に対応する場を別で持つようにしています。
「怒りを伝える」ということと「フィードバックを伝える」ことは区分して対応する。
これこそが、「怒ると叱るの区別」の本来の意味に近く、統率する人材にとっての一つのポイントでは無いかと私は考えます。
メンバーの皆さんは、怒られる機会が今後もあるでしょう。マネージャーの皆さんは、逆に、怒らないといけない場面もあるでしょう。以上は宮崎の考えですので、考えを押し付けるつもりはありませんが、マネジメントの参考にしてみてください。
最後に。これはメンバーでもマネージャーでも全員にいえることなのですが、●●が絶対!ということはありません。ケースバイケースで対応していかなければいけません。でも、大切にして欲しいのは、「自分らしさとは何か」を知る、ということです。良い人間関係は、究極的には、自分自身が何者かを理解することから生まれると私は思います。